ゆきの行っている習い事でみかんの実験をしました。
ミカンを2つ用意して
1つにはよい言葉をかけ、
もう1つには汚い言葉をかけます。
結果はよい言葉をかけたミカンはいつまでもきれいなままで
汚いこと言葉をかけたミカンはすぐに青カビやら白カビやら
見るも無残な姿になりました。
だからきれいな言葉を使おうとうという教訓を
目に見える形で子供に伝えるための実験でした。
ここまでは、知っているかたも
いらっしゃるかもしれませんね。
今日はその先の話です。
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ずいぶん前の話になるのですが
ミカンの教訓ともいうべき…
私たち親子には印象に残る出来事がありました。
その日は、ゆきはお友達に誘われて
遊びに出かけていました。
さぞかし楽しんで帰ってくるだろうと思ったのですが
「ただいま」の声に元気がありません。
ちょっと心配になった私は
訳を尋ねてみたのですが、
どうも一緒に遊んだお友達が
その場にいないお友達の話をしたそうです。
悪口まではいかなかったようですが
あまりいい話でもなかったようで…。
「ゆきはただ聞いてただけ」
とのことでしたが…やっぱり気分がよくなかった。
これ、ミカンと同じ状態ですよね。
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汚い言葉をかけられたミカンは
自分で汚い言葉を言ったわけでもなく
一方的に聞かされていたら腐ってしまった。
つまり、人間も一緒だと思うのです。
ゆきもミカンの実験で「汚い言葉は使わない」
と心に決めてはいたそうですが
自分が知らず知らずのうちに
聞かされている状態もまた
自分の心にダメージを受けていることだとは
考えてなかったそうなのです。
たしかに、友人や親しい人となると
なかなか気づくことは難しいと思います。
どこからマイナスの話かってのも
区別するのが大変ですよね。
ただ、なんとなくだけど
元気がなく帰ってきたというのが
何よりの証拠だと思います。
「でも、どうしたらよかったのかな?」
という話になりました。
一緒にいる人がマイナスの言葉を使っていたり
ネガティブな話をしている時、
聞いているだけの自分にも影響があることはわかるけど
その場で何ができたのだろう?と。
う~ん、難しい問題。
大人であれば、会ってテンション下がる人…
つまりマイナスの言葉をつかったり、愚痴ばかり言う人や
この人とは合わないなと感じる人には
そもそも会わないという選択肢もあるかもしれません。
でも、子供となるとそれは難しいですよね。
それに、その場で気づいても
その場を立ち去るわけにもいかないし。
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結局、この出来事があって決めたことは次の2つ。
1,この世は同じ波動の人が集まる世界だから、自分自身がよい言葉を使うように心がける。
さらに、
2,友達付き合いで無理をしない。
ということを決めました。
無理をしないというのは、
遊ぶか遊ばないかはゆきが決めていいということ。
誘われたから行かなくちゃいけない!!
と思わなくてよくて
誘われて、行きたかったら行くし
行きたくなかったらいかなくて大丈夫ということ。
私自身、長い間「誘われたら絶対にいに行かなくちゃ」
と思うタイプで、そこに自己決定権がなかったんです。
でも、それって自分の人生自分で決めてないってことで…
様々な経験を経て<自分で決める>というスタイルになったわけです。
そんな経験もゆきに伝えてみました。
この出来事は、
私にとっても、ゆきにとっても
とてもいい経験(教訓)となりました。
腐ったミカンの実験は
「だから汚い言葉を使わない」
という教訓以上に学ぶことが多くあるようです。
それでは今日も
人生最高の1日を☆彡