essay エッセイ

感覚を使って生きる

お元氣さまです。

情報に振り回されず、正解探しを手放し
身体感覚を軸に生きる視点をお届けしています
現代の仙人、梶田裕深です。

今日は
「感覚を使って生きる」
というお話をしてみようと思います。

昔の人は、
特別な職人でなくても
“職人技”のようなものを
持っていました。

その人にしかできないこと。

その人だから分かること。

それはきっと、
感覚を使って生きていた証
なんだと思います。

今のように
スマホも検索もない時代。

頼れるのは自分の勘や
なんとなくの予感や
肌で感じる雰囲気の変化。

そうやって五感を全開にして
毎日を生きていたのだと思います。

私の妹は旅好きで、
1人でアフリカへ行ってしまうような
アクティブな人です。

彼女がマサイ族の村を訪れたとき、
こんな話を聞いたそうです。

最近は
マサイ族も携帯電話を持ち始めている、と。

もちろん全員ではないけれど、
使う人が増えているそうです。

するとどうなるか。

それまで普通に持っていた能力が
失われていくのだそうです。

あと何日後に来客がある、とか。
今日は誰々が来る、とか。

何日も前から予感し、
誰が来るかまで
言い当てられるような感性。

それが便利な道具を使う人から
少しずつ弱まっていくのだとか。

これ、私たちにも
言えることだと思いませんか。

便利さは、魅力的です。

時間を短縮できたり
コスパやタイパを引き合いに出されれば、
誰だって手が伸びてしまう。

でも頼り続けると
本来持っていた力を
知らぬ間に手放していくことになる。

しかも自分ではそれに
気づけない。

気づいたときには
もう取り戻せないところまで
鈍ってしまっている。

これ、怖くないですか?

私はこれからの時代、
「感性を磨き直す」ことが
とても大切になると思っています。

方法は人それぞれでいい。

私の場合は
瞑想や座禅、
自然の中に身を置くこと
気功で身体と対話すること。

意図的に
“静寂の時間”をつくることで
感性を磨きなおすことを
日々の暮らしの中で行っています。

気功をしているとき、
自分の内側から湧く感覚を
そっと掌ですくい取るような
不思議な時間があるんです。

身体の感覚に
本人が気づき始めると
求めていた情報を必要なだけ届けてくれます。

こんな生活をしていると
デバイスが重たく感じることがあるんです。

物理的な重さではなくて
感覚としての重さ。
氣の重さと言ってもいいかもしれません。

テレビの音や自然ではない音が
やけに耳に刺さる時もあります。
今の私にはもう必要ない音だなと
感じることもあります。

現代の生活で
完全にデバイスを手放すことは
難しいでしょう。

でもね。
ほんの少しでも・・・

静かな時間を持つこと。

自然の中に身を置くこと。

呼吸を感じること。

空の色を眺めること。

風を感じること。

それだけでも
感性はゆっくり
息を吹き返します。

中医学では「氣」は
感覚と深くつながっています。

氣が整うと
自分の内側がとても穏やかになり
迷いは減っていきます。
ノイズが静まる感覚です。

情報を必死に集めて判断するのではなく
身体が答えを教えてくれるようになる。

それが本来の私たちの姿です。

こころと身体と生き方に軸をつくる。

そしてその背中を
次の世代に見せていく。

派手ではないけれど
とても力強い生き方。

ほんの少しの静寂の時間が
あなた自身に還るきっかけになります。

身体はちゃんと
答えを知っています。

静かに耳をすませば、
きっと。

それでは今日も
人生最高の1日を☆彡

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