essay エッセイ

こころがイエスというならば…

昨日は髪の毛を切りにいつものカットサロンへ。

神山さんという方に毎回お願いしているのですが
彼は本当に神の手を持った美容師だと私は思っています。

ちなみに私専属の整体師も神山さん(彼もゴッドハンドの持ち主)
ゆきが将来いきたい学校も神山まるごと高専で
どうも<神山さん>にご縁があるらしい。笑

というのはさておき、
美容師の神山さんの話です。

彼は美容師としての腕はもちろん、
考え方が本当に素晴らしくて
私は勝手に神山語録なるものを作っているくらい
深く、そして多角的に物事をとらえていらっしゃる。

毎回、カットは終わっているのに
そのまま話しに夢中になったり
話に夢中でカットが進まなかったりと
トークがさく裂しています。

昨日は無駄なことについての話。

時短とかコスパとか追求した人生の先に
何があるんだろうねという話をしました。

はやりですよね、時短、コスパ、タイパ…笑

でも、例えば歴史上何百年も受け継がれる伝統や
素晴らしい建築物、美術品や伝統工芸。

さらに次世代に残したいと思う数々のものは
時短やコスパ、タイパ重視で作られたものなのでしょか?

どちらかというと無駄というか手間というか
すさまじい労力と時間がかけられたものが多いと思うのです。

例えばサグラダファミリアで有名なガウディ。
彼が亡き後もその意思を継いだ建築家が集結し現在も建築進行中です。
彼が時短を掲げコスパ重視で建築を進めたら
そうはならなかったでしょう。

例えば東京タワー。
333m高さを支えるのは手で1つ1つはめていったリベットです。

スカイツリーができた後も圧倒的な人気を誇る東京タワーは
黒崎建築のとび職人という人の手が作ったパワーがあるからかもしれません。
すさまじい手間。

私はどうせやるなら、
後世に残るような仕事をしたいと思っています。

人生は時間が限られてはいますが、
本当に生まれてきた目的のために生きていれば
神様はその事業が終わるまで待ってくれるだけの
心の広さは持ち合わせていると思います。

だから、効率性を追求するあまり
本当に大事なことを見失わないような生き方をしたいな
と思いました。

無駄と思えるようなことでも
それでもやっぱりやりたいってこと、
ありませんか?

それ、きっと無駄じゃないです。
自信もってやったらいいと思います。

昨日の神山さんとのお話で
「私って時短やコスパ、タイパがいいことを
 いいことだって思っていたんだ~」って気がつきました。

だって
私の人生は効率的じゃないし
時短もできないし
感情の波でサーフィン楽しんじゃうタイプの人間で
そんな私の人生にちょっと引け目を感じていましたから。

でも、効率的じゃなくても
時短できなくても
自信をもってその道を行こうと思えました。

私は私でいいんだなって。

そしたらすごく胸のあたりが軽くなったんです。

またひとつ、引っかかりがとれたような気がします。
成長するってひっかかりを解除していくことなのかもしれませんね。

それでは今日も
人生最高の1日を☆彡