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目の前で起きていることを通し感覚で理解する~ウクライナ侵攻で浮上した20年前のあの感覚~

GWに富山ガラス美術館でみたカーティス・レイさんの作品を通して<感覚で理解する>という方法の有用性を再確認することができました。

人生おいて似たような経験、似たような苦手な人、似たような失敗経験、これにくっついてくる似たような感覚。その感覚に形をつけ言葉で表現することで向き合っていく。

本当に向き合わなければならないものは目の前の単なる出来事ではなく、それを通して何を学んでほしいと人生が言っているかというところなのです。

1,ガラス作家カーティス・レイさんの作品がきっかけに

オーストラリアのカーティス・レイさんの作品
GWに行った富山のガラス美術館でオーストラリア出身のガラス作家であるカーティス・レイさんの特別展が開催されていました。「静けさの地平」と題する彼女の作品展は私にとても大きな気づきをもたらしました。オーストラリアの大自然の中で育った彼女。その中で感じた水の感覚や納屋が自然の景観に溶け込んでいく様子や、農具や畝をガラスを通して表現していました。

家族でよく水遊びをした時の肌に残った水の感覚を表現した「いつも泳いでいたー川、湖、池」という作品を見た時に「私もこの感覚、わかる!」と思ったのです。私の他にも足を止めている方が多い作品で、ほかの方も同じような感覚を感じていたのかもしれません。

芸術は目に見えているものだけを表現しなくてもいいんだと感じた瞬間でした。

そして彼女1個人の経験や感覚が万人に通じるような作品をしてしあげる彼女の能力に脱帽でした。人種も民族も関係なく人間の根底にある感覚や風景を形にできるというのは深く深く自分自身と繋がっている証拠だなと感じたのです。

2,誰にでもある<感覚>という感覚

オーストラリア出身のガラス作家、カーティス・レイさんの作品
私は絵を描いたり、見たりするのは大好きでしたが、この自分の中にある感覚を表現するという視点はそれまで全くありませんでした。
見えるものを描く、見えるように色を付ける。本物そっくりに仕上げるのが芸術家と思っていた節がありましたが、今回の経験でちょっと違うんだなと分かったのです。

それと同時に私は言葉にも想いにもならないような感覚というものを自分の中にたくさん持っていることにも気づくことができました。
影も形もない感覚ですが、確かに存在するものとして長い間ずっとずっと自分の中に持っていたのです。

私は仕事柄、人の話を聞くことが多くあります。
コンサルティングをする際に、過去の記憶をたどるワークがあるのですがその時は言葉にならなくても存在する感覚があるのでそれを拾って行きましょうと伝えます。

ほとんどの方が「??」という反応ですが、コンサルが進むにつれてその感覚がとても重要な意味を持ってくることを理解していただいています。
だから、本人が気づいていないだけで、ほとんどの方は言葉にも映像にもできない感覚を心のなかに所有しているのだと思います。

3,よみがえった20年前の感覚とは?

心身に不調をきたした女性
ウクライナとロシアの関係が悪化し始めた時、私はある感覚がよみがえってくるのを感じました。それは2001年におきた同時多発テロの時と同じ感覚。

固まりかけたゼリーをぐちゃぐちゃにされるようなやりきれなさ、無力感、どうしようもないこの気持ち。目をそむけたくなる絶望感…。

この時も二度と悲劇を繰り返さないために作ったはずの国連が十分に機能を発揮できませんでした。
当時私は17歳。軍事の分野に進むか、それとも国連のような機関で働くか揺れている時期でした。この出来事がきっかけで「結局はこの世は力(フォース)だ」という絶望にも似た思いを胸に軍事力という力に希望を託したのでした。

その時に感じた感覚とほとんど同じ感覚を20年たった今、また味わっているのです。

4, 似たよう経験、似たような登場人物は強烈なメッセンジャー

両手の中にエネルギーの光が生まれる
人生をちょっと引き目で見た時に、同じような経験や同じような登場人物、そして同じような感覚を味わったことはないでしょうか?

改めて自分の人生史を作ってみると分かるのですが、特に苦手な人においては毎回登場する人は違っても、同じようなタイプの人間だったり、失敗するパターンが毎回同じような感じだったり…ということがよくあるのです。そのような経験や登場人物は実はとても強烈なメッセンジャーなのです。

「ここに気付いて。」
「生き方を変える時だよ」
「この経験が活かしきれてないよ」

そんなメッセージを届けてくれている重要な存在。

だから無視したり、いやだな~とネガティブにとらえたり、見て見ぬふりをしたりすると人生の重要な重要なメッセージを見落とすことになるのです。

つまり、今の私においては「戦争反対」と叫ぶことではなく、「ウクライナで起きていることを通して、何に気付けと私の人生は言っているのか?」という問いに答えを出すことが先なのです。

5, 感覚とは一体何なのか?

新緑からさす木漏れ日
ではそのヒントとなる感覚とはどのようなものでしょうか?

私の言う感覚とは五感で感じるものすべてです。

見えるもの(カラーか白黒か)、その時感じた香り、手の触感、肌の感覚や肌触り、味…。さらに光のかげんやその時一緒にいた人物などです。それに加えイメージとしてとらえていたこともヒントになります。

心のざわざわ感、充実感、締め付けられる感覚など胸のあたりの感覚も重要です。ざわざわしたという感覚にも良い意味合いが強いのかそれともネガティブなイメージが強いのかなどなど、できるだけ細かくとらえできる限り言語化します。

形がはっきりしない感覚というものに形をつくり言語化することで、今まで見すごしていたメッセンジャーからのメッセージをしっかり受け取ることができるようになるのです。

6, 目の前で起きていることは何を気づかせたいのか?

青色が美しい春の花。
ではメッセージを受け取ってどうしたらいいのでしょう?

ある感覚に形と言葉を受けることによってその感覚の存在を私自身が認識できるようになりました。それは初めて登場する感覚かもしれませんし、何度も登場した感覚かも知れません。

心理学では「人間は意味のないことは絶対しない」とよく言われます。つまりその感覚も必ず意味があって生まれたものなのです。そしてその感覚を登場させたのは私自身であるという視点で見るのです。ここがとてもとても重要!!

なぜ重要かというと、誰かにそういう気分にさせられた、何か勝手にそういう状況になっていたという被害者意識や第三者的感覚が抜けないままだと、本当の意味で自分事として物事を考えることは不可能だからです。

よく「自分の人生に責任をとる」という言われ方をしますが、まさにこのこと。全て自分が起こしていることと認識する。

それならば…
「何のためにおこしているのか?」
「何に気付くためにわざわざ起こしているのか?」

そう考えることで初めて自分の人生の主人公になれるのです。人生は誰のものでもなく、私達自身のものなのです。

7,今のあなただったら向き合える力があるという証

デスクにならぶペンとノートとパソコン
さて、私の場合に話を戻しましょう。

20年間忘れていた感覚が呼び起されたというのは、1つはそこに人生を大きく変えるほどのお宝級の気付きが埋まっているということ。20年も潜んでいたんですからよっぽどです。笑!!そして2回目の登場ともなれば、やっぱりメッセージ性は大きい。

そしてそして、今登場するのだから、今が活かし時なんです。

今の私に必要で、今の私なら活かすことができるのです。
「今のひろみだったらこの感覚をものにできるよ」って言ってるんです。

記憶や感覚、人生の登場人物を100%自分の人生に活かしきれたらその記憶は心の中でくすぶりません。いつまでも忘れられない嫌なことは、いまだに<嫌なこと>だから忘れられないんです。そこから気付きを得て、人生に活かし始めたら、す~っと雪が解けるように嫌な感覚はなくなります。

私は毎晩、自分自身を相手にコンサルティングをしています。今回せっかく再登場してくれたこの感覚をそのままにしてしまうのはもったいない。
「何を伝えるためにわざわざ起こしているのか?」という視点で手帳にいろいろな言葉や思い浮かんだ記憶を文字にしています。

「これかな?」「あれかな?」
なんていろんなことを考えながら心と対話を重ねています。

8,感覚を捕まえることの有用性に改めて気が付く

四つ葉のクローバーが光を受けて輝く
今までもそうやって来たけれど、今回、カーティスさんの作品に触れることでよりその感覚というものの性質に敏感になることができました。

私の心の中にある感覚をこれからも丁寧に拾いたいと思うし、それはすべて神ざまからのギフトですから私自身の人生に活かしたいと思っています。そしてこの感覚から本当の自分の価値に気付き、輝きをとりもどすというライフワークを多くの方とシェアできたらなと思っています。

そのためにコンサルティングを提供しています。1人で向き合うのもよし。2人で違う方向から向き合うのもよしです。

本当のあなたの声に耳を傾け、本当のあなたの価値に気付き、あなたらしく輝きませんか?

【コンサルティング】