お元氣さまです、梶田裕深です。
昨日から連続投稿が始まった
茶の子の先生とのストーリー。
ご感想頂いた方、
本当にありがとうございます。
粗削りな文章で、
読みにくいところもあるかもしれませんが
心を込めて書いています。
ご感想、とっても励みになっています!
今日もコーヒー片手に
お付き合いください。
では早速、第2話にスタート!!
『食養生が未来を拓く
~不思議な仙人じいちゃんの悠久の教え~』
運命の出会いから20年
<究極の自分軸で生きる>
原点を振り返る8つのストーリー
このストーリーは、
梶田裕深がどのように<自分軸>を取り戻し
自分らしく生きることを実践してきたかを
8つのお話でつづるエッセイです。
【目次】
第1話 運命のターニングポイント
第2話 お前さん、本気で生きる覚悟はあるかね?
第3話 生まれ変わりの21日間
第4話 2人で紡ぐ食養生
第5話 命は助かったが…
第6話 食べ方は生き方
第7話 究極の自分軸で生きよ
第8話 命はそんなにやわじゃない
という流れの中の今日は第2話です。
第1話見逃しちゃった~
という方は上記の目次の第1話のところを
クリックして第1話をお読みください。
【第2話】お前さん、本気で生きる覚悟はあるかね?
茶の子の先生との出会いは突然でした。
母から
「どうしても会ってほしいという人がいる!!」
という熱烈なお誘いを何度も受け、
なかば理矢理連れていかれたのが
彼の娘さんが経営する自然食のレストランでした。
今から20年も前の話です。
自然食といっても今ほどメジャーではなく
レストランの端っこに
お手当てに使うちょっと変わったものや
自然食といわれるものが
ずらっと並んだナチュラルでかわいいレストランでした。
そこから出てきたおじいちゃん。
白いひげがひょろっと伸びて頭はつるつる。
でもとてもいい顔をしていました。
なんというか…
カッコいいいというか、
きりっとしているというか。
第一印象は<仙人>笑!!
もうそういう雰囲気が
ぷんぷん漂っていたんです。
呼び名は茶の子の先生。
本名はずっと教えてもらえませんでした。
なんだか、
「本名は親と師匠にしか明かさぬ」
というポリシーがあるようで
彼が亡くなった今でも
私は先生の本名を知りません。
もの知りそうなおじいちゃんだし、
母の話だと全国から彼に学びたいという方が
わざわざ那須まで足を運んでいるという話でした。
だから1番知りたいことを
聞いてみることにしたんです。
「世界はどうやったら平和になりますか?
戦争がない世の中はどうやったら作れますか?」
私は本気でした。
防衛大で学んでいるのは戦い方。
当時を思い返すと、
なんとなくだけど戦い方の先に
平和な世界が見える気がしなかったんです。
だから、どうやったら平和な世界が作れるか?
その頭が良くて智恵のあるおじいちゃんに
どうしても聞いてみたかった。
するとひげをなでながら
「面白い子だね。
ど~れ、少し話でも転がしてやろうかな~」
とひとこと。
そう言って
椅子を2つ並べてゆっくり腰を掛けました。
これが先生と私の出会いでした。
当時、カフェには多くのお客さんと共に
先生に教えを乞う人たちが
何人も出入りしていました。
料理を学ぶという人もいれば、
お手当てや食養生を学ぶという人もいました。
ただ、彼の教え方は
社会一般の学びとはちょっと違っていました。
テキストもない。
決まり切ったレシピもない中で進める
超実践講義だったんです。
話を転がすというのも、
その場にいる人を集めて先生が1つお題を出す。
それをその場にいる人がどんどん議論していくスタイル
これを彼は話を転がすといっていました。
正解がない議論でした。
学校の勉強とは違ったスタイルの学びが
私には新鮮で心地よかったんです。
ただ、この20歳の時の出会いはそれだけでした。
私も学校があるし、
ずっと彼のそばで教えを乞うなんてことは
できないと分かっていたし、
そもそも食べ物で身体が変わるなんて
にわかに信じがたかったというのが本音かな。
プロテインが身体をつくり、
運動していれば何を食べても健康体でいられる。
当時の私は心のどこかでそう思っていました。
訓練で疲れればPX(軍事施設内の売店のこと)にいって
友達と板チョコの1枚食いをしていたし、
休日は息抜きにケーキバイキングで
ケーキを8個食べる時もありました。
筋トレの前にはプロテインを飲んでいたし、
食べることがストレス解消の一環である私には
食養生なんて別世界の話でした。
彼が教えている食養生は特殊な食事で
そういうものに興味のある人だけが実践する
<病院食>のようなイメージを勝手に抱いていました。
だから食事に関して
私から話しをふることはなかったし、
先生も私に対して
積極的に何かを伝えることはありませんでした。
ただ、彼は私に対して
日本文化のすばらしさや
日本人が残してきたした智恵、
漢字にこめられた思い、
言霊について
ことあるごとに話をしてくれたんです。
そして最後に必ず
「たべなさい」といって
本物でつくった
本物の料理を出してくれた。
これが本当に心の芯までしみわたる味でした。
今まで生きてきた中で1番美味しい料理は?
と聞かれたら間違いなく
茶の子の先生の料理!!って答えます。
1番好きな料理は母の料理だけどね。笑
そんな風にして20歳の時の出会いは
手紙のやり取りや
実家に帰った時に遊びに行く
というお付き合いが続いていました。
転機が起きたのは
初めて彼と会ってから4年後のことでした。
運動中に身に覚えのある痛みを
下腹部に感じてしまったのです。
手術後1年は通っていた定期健診も
4年が過ぎることには
忙しさを理由に足が遠のいていたのが事実。
もしやという私の嫌な予感は的中してしまいました。
まさかの再発。
「またか…」と落ち込む私に
「体質だからね、何度でも再発しますよ」
医師は軽くいったんです。
その言葉に私は頭を殴られたような衝撃を受けました。
「え?体質だから再発する?
その度に大好きな仕事を休んで
痛い思いをして手術をするの?
病気を治して二度とかからないようにするのが
医者の仕事じゃないの?
なにその他人事のような言い方。
マジで腹が立つ!!」
もう怒りでした。
それは医師に対する怒りだったのか
自分の命をやすやすと他人に預けた
私自身に対する怒りだったのか。
今考えると明らかに後者でしたが
当時の私はただただ怒りに身体を震わせていました。
初めて自分の命について考えました。
どうしたらいいのかなんて
まるで分らなかったけど
『自分の命を他人にゆだねるのはもうやめよう』
ということだけはハッキリ分かりました。
その時心に思い浮かんだのは
茶の子の先生でした。
「彼に会いに行こう。」
そう思いいつものレストランに向かったのでした。
そしてお店の前にある畑で、
畑仕事をしている先生に伝えました。
病気が再発して手術をすすめられていること。
私は手術をするのは正解じゃないと思うから
自分の力でどうにか治したい。
でもどうやったらいいか分からない。
静かにうなづきながら聞いていた先生。
「お前さん、本気で生きる覚悟はあるかね?」
私にとっては究極の質問でした。
いろいろなことが頭を巡りました。
それまで先生の教えを乞う人たちは
遠方から長期間泊りで学びに来ていた。
そんなこと私にできる?
自衛隊やりながら無理じゃない?
それに傍目に見ても当時の一般社会とは
断絶したような食生活になることは明らかだった。
そんな生活私に耐えられる?
・・・
自衛官を続けられるだろうか?
友達とのおつきあいはどうなるのだろうか?
毎日何を食べればいいのだろうか?
私にやっていけるのだろうか?
もし、続けられなかった場合…私はどうなるのだろうか?
考えても答えが出ない問いばかりでした。
でも、今の現状にとどまることも違うと分かっている。
だって私は先生のいる世界を
4年間ずっとそばで見てきたから。
きっとこの新しい世界に
私の欲しい答えがあると
心のどこかで分かっていました。
とどまるのか?
それとも踏み出すのか?
どれくらい時間が流れただろう。
私はやっと返事をしました。
「はい。」
それが私の食養生の世界へ足を踏み入れた
記念すべき第1歩になったのでした。
(第2話へ続く)
と、今日はここまで。
いかがだったでしょうか?
究極の質問に答え
1歩を踏み出した私。
でも、その先には想像以上の
厳しい現実が待っていました。
さあ、どうなる裕深!!
次回をお楽しみに~
それでは今日も
人生最高の1日を☆彡
全8話のこのエッセー。
ご感想なんていただけたら、
とてもとても嬉しいし
次のストーリー作成の励みになります!!
最後にちょっと紹介させてください。
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